【高IQ者へ】一般人で高IQはバッドステータスだという話

前提

本記事内では

高IQ=130以上 割合2/100

勉強は暗記とプレイ時間がベースの競技なので、=IQになりにくい

とします。

 

簡潔に書きます。以下敬語ナシで

 

本文

高IQ者は2/100人しか存在しないため、98人にとっては都合の悪い評価基準だ。現に自称高IQ者は揶揄される対象であるという事が大衆的な認識だと思う。

2vs98なので勝てるわけがない。2を認めるということは、98に対して知能が低いと認めると同義だ。知能が低いというステータスをつけられるくらいなら、2しかいない者を98で嘲笑い、それは意味のないステータスとした方がいい。そしてこの98側の考えは自然だ。

では少数しかいない高学歴が評価されるのは何故か?

上記の理屈で行くと、少数が淘汰されるので少数の高学歴が否定されないのはおかしい。

上記と相反する理由は、”そもそも高IQが評価される社会システムではないから”だろう。高学歴が就職しやすいという事実は数の暴力を以てしても覆らない。故に高学歴が大衆から評価される。評価せざるを得ない。

そしてIQが評価されにくいのには別の理由がある。

 

IQは外観に表れない

学校生活を例に出す。

テストの点数が高い、運動ができる、容姿に優れている等は生活の中での視覚情報のみで判別できる。

 

ウサインボルトは常時全力疾走をしていない

ボルトとクラスメイトだとして、移動教室の際に全力で廊下を駆けることはないだろう。きっと歩幅を合わせてくれる。だからといって「ボルト足遅いじゃん」と言う者はいない。全力疾走していないことを知っているからだ。仮に廊下で突然に全力疾走を始めたら異常者のレッテルを貼られるだろう。ボルトが速いのは100Mレーン上の話である。

IQにも一部似た性質があり、IQ130オーバーというのはその知能テスト中での話だ。ボルトが常時全力疾走できないように、日常生活で常時MAXのIQで過ごせる者は存在しない。というか、全力で頭を使う機会が全く存在しない日もある。

しかし頭の回転は視覚情報から読み取れないため、「ボルト足遅いじゃん」と思われてしまう状況が発生しやすい。

また、これが最も厄介な問題なのだが、頭をフルで使ったら使ったでそれが相手に理解してもらえない。

理解してもらえないことがあまりにも多いと、自己否定に陥る。自分の頭が悪すぎるから相手に伝わらない。一度自分の頭を調べてみよう。こういう経緯で自分のIQを知るケースは少なくないと思う。

 

IQが高いと友人ができないのか?

結論からいうと、そんなものは人による。もともと社交性があれば人間社会で上手くやれる。社交性があっても自分の時間を優先し、あえてその能力をセーブしている人も少なくないだろう。ただ、IQの分布上、全力の会話を対等にできる人間が少ないためハンデがあることは事実だ。

高IQ者には図らず孤立してしまう者もいるようだが、そこにはIQとは別のパラメータが起因しているケースも多いと個人的には思う。

 

「IQが高いなら低い人に合わせて会話できるよね」

できるできないの話ではなく、許容するか許容しないかの話である。

膝を折って目線を合わせて会話する息苦しさはだれもが知っているだろう。

子供と楽しく話すことは幸せな気分になるものだが、自分が死ぬまでずっとそれをやれというのは酷だ。いつかリタイアしてしまう。その結果として「高IQ者は一人でいることが多い」という特徴が表れる。

 

「IQが高いならIQが高い者同士で集まれば?」

そういう社会システムではない。そういうシステムになっているのは勉強とスポーツ。

また、上に書いたように勉強=IQではない。ツイッター上の議論を見ると、どうもこれが理解されていない。おそらく、学歴は家庭ガチャ依存という前提がないので、思考のスタート地点が違うらしい。スタート地点が違えば、もちろん道中の議論も違うし、ゴールの議論も違う。

 

「IQが高いならそれを生かして解決すれば?」

才能というのは、別の才能や環境と噛み合ったときに結果がでる。

スポーツをやらせてもらえる家庭×身体能力に優れていている。これが噛み合って初めてプロという選択肢が生まれる。

背の高い人に「バスケット選手になればよかったじゃん」

容姿の優れている人に「芸能人になればよかったじゃん」

というくらい現実を無視した発言である。

 

IQとはなにか

勉強と言っても国語算数理科のように教科の違いがあるように一口には言えない。

色々思考過程を端折って端的に言うと、「省略化とコツをつかむことが上手い」かなと個人的には思う。やってることは早送りというかスキップに近いので普通に努力(プレイ時間)に負ける。

 

IQという才能

足が速いとか声が良いとかそういう数ある才能の一つに過ぎない。

しかし、足が速いという才能は走る場面でしか発動しないが、簡略化が得意というのはあらゆる場面で発動の機会があるので比較すると価値の高いスキルといえる。

問題なのが、足の速さは他人と歩幅を合わせることができるが、IQは自分の意思に関わらず最低速度・最高速度に制限があるので、どうしても歩幅が合わない人が存在していまうということ。これこそが高IQ者特有の生きづらさだと思う。

 

IQは万能ツールではない

「東大なのにそんなこともできないんだ」とバイトで言われたみたいな話を聞くが同じように「IQ高いのに〇〇できないんだ。IQ意味ないね」と言われてしまうのは無くならないだろう。IQは万能ではないし、高IQ者でもそれぞれ得意分野は違う。意外と知られていないが、弁護士といってもそれぞれ扱う分野が違う。弁護士でさえ扱う業務を絞っているのだから、たかがIQが高い程度の人間が万能な訳がない。

 

最後に

2を認めてしまえば98の知能が低いということになる。

2を98で嘲笑い優位性を保つというのは人間に備わった当然の防衛反応だろう。

2を自称すれば傷つくし、98を悪く言うことに換言され98も傷つく。

 

高IQの自称は計100が得しないバッドステータスなのだ。

 

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あくまで本記事内での主張です。

タイトルを先に決めてしまったのでそれに沿った内容となりました。

全体の合計ダメージ量に焦点を当てると、自称はマイナスだ。ということに関しては概ね合っているのではないかなと思います。

ただコミニュティを形成するにあたり、自分のステータスの開示を避けられないことはありますよね。

記事だとかYouTubeだとかツイッターだと支持されるのが0か100の意見なので、んーってなります。正確性よりも爽快感のようなものが評価されるのは残念です。